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東京地方裁判所八王子支部 昭和63年(わ)662号 決定 1990年5月29日

主文

本件公判手続を停止する。

理由

関係各証拠によれば、被告人は、生来の聴力障害者であって、一級障害者(両耳の聴力が一〇〇デシベル以上で、人が耳元で大声を発しても何の反応も示さず完全に聴力がない状態)と判定されており、教育については、戦時中の昭和一八年ころから約二年間ろう学校に通学したのみで、捜査段階で行われた知能検査によれば、その精神年齢は八歳一〇月、知能指数(IQ)は五九であり、精神薄弱(軽愚級)と評価され、意思伝達手段としては、ごく簡単な手話はできるが、十分な手話の技法が身についているとはいえず、平仮名、片仮名、数字及び簡単な漢字は書くことができるが、仮名と漢字との関係は全く理解されておらず、文字は単なる形としてのみ認識しているに過ぎないものと考えられ、筆談も十分にできないのみならず、発語や指文字もできず、その意思伝達能力は甚だ不十分であり、ただ、これまでの社会生活経験等により、自ら日常生活は営み得るものと考えられる。

ところで、被告人に対し訴訟手続を進めるためには、被告人がいわゆる訴訟能力を備えていることが必要であり、この訴訟能力とは、一定の訴訟行為をするに当たり、その行為の意義を理解し、自己の権利を守る能力を指すものと考えられる。これを被告人についてみるに、関係証拠中、特に医師である鑑定人逸見武光作成の鑑定書及び証人逸見武光に対する当裁判所の尋問調書(以下、両者を合わせて「逸見鑑定」という。)、第五回及び第六回公判調書中の証人市川恵美子の各供述部分(以下、両者を合わせて「市川供述」という。)並びに証人川島好子の当公判廷における供述及び第六回公判調書中の同証人の供述部分(以下、両者を合わせて「川島供述」という。)のほか、通訳人を介して表現された当公判廷における被告人の供述及び態度等並びに第一回、第三回及び第四回公判調書中の被告人の各供述部分を総合すると、被告人は、自己のなした行為についての単純な罪悪感は認識しているようであり、そのことに関し自己の処遇を決めるために本件訴訟手続が行われているとの漠然とした理解はしているものと考えられ、また、人間生来の自己防衛本能による事実秘匿能力を有することも認め得るであろう。しかしながら、右各証拠等によれば、被告人は右のとおり意思伝達能力が不十分であり、被告人に対し手話により質問をしても、被告人は、これを疑問文として理解してこれに対応する回答を述べる訳ではなく、質問を単なる刺激語としてこれから連想される事柄を断片的に述べているに過ぎないもので、被告人に対しては厳密な意味における会話は成り立たず、また、この不十分な意思伝達能力にも関係して、被告人の思考はその狭い経験の枠内にとどまり、抽象的な事柄は理解することができず、その中でも特に「もし……ならば、……してよい」などという仮定的な思考方法は全くできないものと考えられる。そして、黙秘権の告知という問題について検討してみると、そもそも権利というものは抽象的な概念であり、しかも、黙秘権には「もし言いたくなければ」という仮定的概念をも含んでいるのであり、市川供述及び川島供述によれば、捜査段階での取調べにおいて、被告人に対し黙秘権を理解させてこれを告知しようと種々の努力を試みたにもかかわらず、結局はこれを被告人に理解させることができたとは到底認められず、また、逸見鑑定によれば、そもそも黙秘権の意味を被告人に伝える方法についてはこれを想定し難いとさえしているのであり、当公判廷においても、被告人に対し、新たな方法を含めて種々の方法により黙秘権を理解させこれを告知しようと試みたものの、これが成功するに至らなかった。そうだとすると、被告人に対しては刑事訴訟手続において最も重要な権利の一つである黙秘権の意味を理解させ、その権利行使の機会を与えることが現時点においては不可能であるとみるほかなく、結局、被告人には前記のような訴訟能力が欠けているというべきであり、被告人についてこのまま訴訟手続を進めるならば、手続の公正を確保できないことになるといわざるを得ない。

したがって、被告人については、以上のような状況にかんがみ、公判手続停止の可否を判断するについては心神喪失の状態にある者に準じて扱うのが相当であると考え、刑事訴訟法三一四条一項本文を準用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 長崎裕次 裁判官 山本武久 裁判官 成川洋司)

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